子どものごはんがあるのでお先に失礼します。

バツイチ・アラフィフの育児ブログ。略称「こどめし」。なまあたたかく見守ってやって下さい。

二毛作バツイチ・アラフィフの育児ブログ。略称「こどめし」。生暖かく見守ってやって下さい。  

本当に、誰でも「文章は読める」のでしょうか?

先日、このようなツイートを読みました。

 ここで引用されている記事は新しいものではなく、一年ほど前の記事です。

news.yahoo.co.jp

ざっくりいうと、AIは「文章を読む」ことが苦手(というか現時点では不可能)なのですが、そのAIが国語のテスト問題を解くのよりも偏差値が低い学生がいると。現段階ではAIは文章を「読む」ことができないのに、それよりも点数が低いってどういうことよ? というわけで、全国の子供たちを対象に「読解力テスト」をやってみたら……というのがこの記事の趣旨です。元発言にあるような「学力テスト」とは違います。単に「文章を読んで、その内容について質問する」というものなので、文章がちゃんと理解できていれば正解が答えられる内容です。具体的には下記のような内容ですので、興味のある方はどうぞ。
リーディングスキルテストで測る読解力とは

そして、そのテストの結果は以下のようなものでしたと。

これまでのところ、テストを受験した公立中学校生340人のうち、

約5割が、教科書の内容を読み取れておらず、

約2割は、基礎的な読解もできていない

ことが明らかになってしまった。

「文章を『読む』くらい、ほとんどの子が日常的にできてる」とセンセイ方は予想していたので、大変びっくらこいたというわけです。

ここまでは「へー、なるほどねえ」ってな感じで読んでいたんですが問題はここからでした。ことの発端はAIの開発だったんですが、上記の調査結果を受けて「こりゃまずいんじゃね?」とセンセイ方は考えたみたいなんです。

なぜ「読めない」のか、

「読める」ようになるためには何が必要なのか、

原因を調べ、対策を立てたい。

公教育とは、国民全員に基礎的学力を保障するもののはずだ。

たとえ入学前に差がついてしまっていたとしても、差がなくなるようにするのが、公教育の責務だ。

中学を卒業するまでには、全員が教科書レベルの文章を「読める」ようにしたい。

いやいや、ちょっと待て、まずは落ち着け、と思うわけです。 このセンセイたちは「小中学校でちゃんと勉強しなかったから、文章が読めない子どもがいる」と考えているようです。だけど本当に、あらゆる人間が「ちゃんと訓練すれば文字の読み書きができる」のでしょうか?

本当に誰でも読み書きはできるのか?

先日たまたま「発達性読み書き障害(発達性ディスレクシア)」の子どもを持つ母親が書いた『うちの子は字が書けない』という本の取材をしました。

www.webasta.jp

 (このマンガの書籍化です)

この本の監修をした宇野先生によると、日本人のおよそ8%は「発達性読み書き障害」、つまり生まれつきの脳の機能障害で、読み書きするのが著しく困難なんだそうです。もちろん学習能力など、他の能力は正常なのに、です。8%というのは40人学級だったら2~3人はいる計算です。専門的なトレーニングを受けたとしても、ある程度までしか上達しないそうです。だけど、一般的には誰でも「読み書きは学習すればできる」と考えていて、小学生で漢字が覚えられない子どもは「勉強が苦手な子ども」とひと括りにされています。しかし、実は本人の努力だけではどうしようもない「脳機能の障害」であることがわかってきたのです。

もちろん、障害とは言わないレベルであっても「読み取る能力」が比較的低い人だっているはず。それが「20%」の内実なんじゃないかと思うんですよね。

これは私の想像ですが、特に学者の先生(お勉強が昔から良くできる人)なんかは「できない人」への想像力が足りない傾向はあるんじゃないでしょうか。だから「全員のレベルを(自分並に)引き上げなくては国家の存亡の機だ!」なんて、傲慢なことを考えてしまう。仕方ないことではありますが。

そもそも、この国の教育水準を引き上げるのはあなたの仕事じゃないですよ(笑)。びっくりしたのはわかるけどまあ落ち着けと。本来のAI開発業務に戻った方が良いんじゃないですかと思うわけです。

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能力は人それぞれ、できないものはできない

一番上の引用ツイートのリプライの中にもありますが、「本来、人間の能力的に『文章をちゃんと文章を読める人』の割合はこの程度のものなんだ」と理解するべきなんじゃないですかねえ、と思うわけです。全員を一定水準に引き上げようというのは、思い上がりとは言わないまでも、できない人への思いやりが足りない発想じゃないでしょうか。最低限の努力はするべきだけど、できないものはできない。そういう人がいること、もっと言えば「人の多様性」をまずは認めることが大切なんじゃないの、と個人的には思うわけです。

貧困状態にある子であっても、AI時代を生き抜く最低条件を整備する。

そのためには、誰もが通過する公教育で「読める」ようにしたい。

その意味では、これは貧困対策でもある

書いてある内容が読めずに、必要な援助を申請できないなどということがあってはならない。

それを実現させるまで、このプロジェクトは終わらない。

とこちらの先生は息巻いてますが、そうした問題を憂うのであれば、やることはそっちじゃないかもしれないですよと思うわけです。それこそ「無駄な投資」に終わるんじゃないですかねえ。

「AIに仕事が取られちゃうかも〜!」って心配してるようですが、全員がオフィスワークに従事しなくたっていいでしょう。職人的な手作業の世界ならAIに取って代わられることはないでしょうから、そちら方面の教育なり育成制度なり待遇の改善なりに力を入れればいいのでは。ドイツのマイスター制度みたいに。

「全員が文章の読み書きができるようにせねば!」というマッチョな思想より、「文字が読めない人も暮らしやすい社会を作る」という優しい考え方の方がいいと思うんですがねえ。みんなみんな生きているんだ友達なんだ〜。