父親と母親は、子どもの頃は違う家庭で育つわけで、幼なじみとかでなければ生活習慣や言葉などの違いがたくさんあります。特に結婚して共同生活を始めたり、子育てを始めたりすると、それまでは気が付かなかった意外なところに「差異」を見つけて面白いですね。
ウチで言うと、例えば「つぐ」という言葉の使い方の違い。
結婚してからご飯を一緒に自宅で食べるようになって、ご飯の準備をするときに何の気なしに「ご飯はどれくらいつぐ?」とパートナーに聞いたところ、けげんな顔をされました。
私は「ご飯」も「みそ汁」も器に入れるときは、「ご飯を茶わんにつぐ」「みそ汁をつぐ」のように言います。ところがパートナーの方は、「つぐ」は液体に対して使う言葉なので、みそ汁はOKだけど、「ご飯」は「よそう」なんだそうです。へー!
ググってみたところ、他にも「もる」「いれる」「つける」などいろいろあるみたいですね。
上記NHKの記事によると、私の産まれた九州地方は「ご飯をつぐ」が多い地域のようです。
いただきますの作法
でここからが本題。
ムスコの食事は私が担当することも多いのですが(朝はほとんど私)、その時に「食べる前にはいただきますをしようね」と教えています。4〜5ヶ月かかってようやく、いただきますが出来るようになりました。
ちょっとずれてますが(笑)。
これを見たパートナー曰く、「なんで合掌するのか?」と。自分では当たり前と思っていたので結構びっくり。
でも北の方では「合掌しない派」の方が多かったりするんですねー。知らなかった。
まあ私としてはべつに「こうじゃなくちゃならない」とか「こうするべき」とは思ってないので、どっちでもいいと思うのですが、そのままとりあえずご飯を食べる前の儀式と言うか、ベビーサイン的にやってます。だってかわいいし。
パートナーも別にやってもやらなくても気にしないとのことなので、ムスコは今のところ「合掌派」です。
余談
ちなみにググっていて、こういう記事も見つけました。
「こちらは客で、お店に対してお金を払っているのだから『いただきます』というのはおかしい」という考えの人がいるとのこと。まあなんというか、心の貧しい人だなあ、と思ってしまうわけですが。家庭か仕事でなんか嫌なことでもあったんですかね?
お金を払っていようが払ってなかろうが、サービスをしてくれた相手に感謝の意を表明することになぜ異を唱える人がいるのか、全く不思議でなりません。それで相手が気持ちよくなるならいいじゃないですか。逆の立場で考えてみたら、自分が業務でサービスしたときに相手から感謝の言葉を言ってもらうのと無言なのと、どっちが気持ちいいかという話ですよね。私だったら言ってもらう方がうれしいし、食後にも美味しかったと言ってくれたらちょっと何かサービスしようかとか思っちゃいますけどね。
でももしかしたら、こういう人は言ってもらってもうれしくないのでしょうか。子どもの頃に承認欲求をちゃんと満たしてもらえなかったのかもしれませんねー。かわいそうに。